日蘭条約の歩みと現在の条件

<日蘭条約の歩み>

①1912年に締結された日蘭通商航海条約(日蘭条約)により、日本国籍保有者には最恵国待遇が与えられる。

②日蘭条約は長らく死⽂化

③光が当たったのは2004年。日蘭条約に規定されている最恵国待遇とアメリカ・オランダ間で1956年に締結され た友好条約(アメリカ⼈のオランダでの起業・滞在を容易としたもの)を組み合わせれば、日本⼈にもアメリカ人と同等の権利が与えられえるべきとの論⽂が発表される

④日本⼈の在留許可を巡る実際の裁判でこの点が争点となり、2008年に上記の主張が認められ、⽇本⼈の起業が容易となるルートができる

⑤2013年、1875年に締結されたスイス・オランダ間で結ばれた友好条約を最恵国待遇の根拠とすべきとの最⾼高裁判断が出される。政府側は無視

⑥2014年12⽉24日、松⾵館の茶室を建造する際の労働許可と罰金を巡る裁判の結果、スイス国籍者と⽇本人は同じ待遇であるべきと最⾼裁が再度ダメ押し(松風館ルール)

⑦2015年3⽉にかけて移⺠局等の政府機関が松⾵館ルールを受け⼊れると表明。個⼈事業主としての起業と同時にオランダ労働市場に自由にアクセスできる(労働許可取得は不要)という条件が認められる
(上記の法律はプロサッカー選手にも当然適用されます。オランダでの労働許可が日本人選手には不要となったニュースは、サッカー業界でも話題となりました。
それ以前、オランダリーグでは自国の選手の雇用を守るため、EU圏外の選手には1部リーグの平均年俸より1.5倍の給与を支払わなければいけませんでした。従って、EU外選手が移籍するためには、クラブは最低でも約40~45万ユーロ=約5000〜5500万円もの年俸を負担しなければなりませんでした。)

⑧しかし松⾵館ルールは⾏政と司法の双⽅にとってパンドラの箱。政府は思ってもいない苦しい立場に追い込まれていく

⑨押され気味のオランダ政府が取った起死回生の解決⼿段がスイス政府との間で秘密裏に進めた「条約の解釈の明文化」という策。 「スイス⼈と同等」の根拠が崩れる。これを法的な手段で既成事実化(2016年6月20日)。

⑩2016年6⽉21日、移⺠民局は2016年10月1⽇以降、日本国籍者がオランダで就労する際には労働許可が不要という条件を無効とすると発表(その後「各⽅面からリクエストがあった」とのことで変更⽇は2017/1/1に延期)

⑪2017年1⽉1日から就労にあたっての労働許可は再度必要に。起業は日蘭条約とアメリカ・オランダの条約の枠組みであるため2020年現在も可能
⑫2019年3月20日、オランダの移民法廷は遂に、INDのアプローチは正しいものではなく、2017年1月1日以降も日本国籍保有者はオランダの労働市場への自由なアクセス権を維持できるとの決定を下しました。明確であり断定的な「once full access, always full access」の原則を破る有効な理由がないとされたのです。 日本国籍を保有し、2017年1月1日以降に滞在許可の更新手続きを行い、INDの判断によりオランダの労働市場へのアクセス権を失った人は、INDへ労働条件の変更を申し立てることにより、労働市場への自由なアクセス権を再度取得すことができるようになった。